AIは、掛け算の力である
AIは、作り手の入力を掛け算で広げる
AIは、作り手が渡す考えを、足し算ではなく掛け算で広げる。
仮に、AIの力を100倍として考えてみる。
何を作るかが曖昧で、元になる入力が0.1なら、0.1×100で結果は10にとどまる。
「AIは使えない」と感じる原因は、AIへ渡す入力が曖昧なことにある。
一方、目的を明確にしたうえで、人間への理解や設計上の判断まで質の高い入力としてAIに渡せるなら、元になる数を100まで高められる。100×100で、結果は10,000になる。
作り手の考えを具体的にAIへ渡せば、1人でも多くの案を形にし、磨くことができる。
この掛け算の元になる入力とは、作り手が定める目的と判断のことである。
誰にどのような価値を届けたいのかという思想。使う人がいま置かれている状況と、そこから生み出したい状況。その価値を形にするコンセプトと、何を優先し何を作らないかという制約。
これまで本書で考えてきたことを、今回作るものに合わせて具体的にAIへ渡す。その内容が、AIの作る案を方向づけ、どの案を残すかを判断する基準にもなる。
専門家の判断を、組織の入力にする
AIを使うと、作業を速く進め、多くの案を試せる。
だが、私がさらに大きな可能性を感じるのは、優れた作り手が何を見て、どう判断しているかを、組織のほかの人にも使える形にできることである。
経験を積んだ人は、画面を見て「ここで使う人は迷う」と気づく。
その人の頭の中には、使う前の状況、その場で生まれる不安、次へ進むために必要な理解まで見通す判断がある。
その判断が本人の中にだけあれば、別の担当者は同じ場面で、また最初から考えることになる。
そこで私は、体験を設計するための知識を組織で使えるようにする仕組みとして、エクスペリエンスシステムを考えた。
使う人の状況と心理、プロダクトからの働きかけ、その先に生み出したい状況を整理し、設計の判断へつなげるものである。
AIへ渡す内容で、画面はどう変わるか
私の研究ページでは、中学生向け学習アプリを題材に、AIへ渡す内容によって画面がどう変わるかを示している。
出発点は、「学習状況、教材、進捗、保護者向け情報を表示する」という要件である。
AIは、その要件から画面を作る。だが、どの情報を大きく見せ、最初に何をしてもらうかまでは、この指示だけでは決まらない。
掲載した生成例でも、前回の学習を中心にした画面、「今すぐ10分」を強調した画面、全国順位を目立たせた画面に分かれた。
次に加えるのが、デザインの共通ルールを記したDesign.mdである。
MDとはMarkdownの略で、見出しや箇条書きを使って文章を整理できるテキスト形式を指す。ファイル名の末尾の「.md」が、その形式を示す。
色や文字、余白、UI部品のルールをこのファイルに記してAIへ渡すと、画面の表現を揃えるための基準を共有できる。
さらに、使う人の状況や心理、その先に生み出したい状況を加える。
学習状況を並べるだけでなく、学習を再開する生徒が、何から始めればよいかを判断できる画面にする。
そのために、前回の続き、必要な時間、次に行うことを優先して見せる。
AIへ渡す入力に体験の判断が加わることで、画面に載せる内容と、その順番まで考える基準ができるのである。
AIへ渡す内容で、画面はどう変わるか

学習状況、教材、進捗など、必要な情報から画面を作る。

色や文字、部品の表現を共通のルールに合わせる。

前回の続きと所要時間を先に伝え、次の学習へ戻る行動を中心にする。
3つの画面を比べると、入力の違いを、画面の具体的な違いとして捉えられる。
要件は「何が必要か」を伝える。Design.mdは「どのような共通ルールで表現するか」を伝える。エクスペリエンスシステムは、そこへ「誰が、どのような状況で使い、どうなれることを目指すか」という判断を加える。
MDファイルに、人を理解するための知識を残す
エクスペリエンスシステムは、1つの長い指示文を作るだけの仕組みではない。
目的、使う人、利用場面、体験、判断基準、表現のルールを分けて整理し、必要な場面で人もAIも参照できるようにする。
私の研究ページでは、その構成を7種類のMDファイルで示している。
Experience Systemには、何を記すのか
Purpose.md誰に、どのような価値を届けるのか。
Product.mdプロダクトの目的と、担う範囲。
User.md使う人の背景、理解、不安や期待。
Scenario.mdいつ、どこで、何をしながら使うのか。
Experience.md使う前の状況、働きかけ、使った後の状況。
Principles.md何を優先し、何を守り、何を作らないか。
Design.md色、文字、部品、余白などの共通ルール。
たとえば、Scenario.mdには、学習を中断した生徒が、数日ぶりにアプリを開く場面を記す。
Experience.mdには、そのときに「どこから再開すればよいか分からない」という状態から、「今日できることが分かり、自分で再開を選べる」という状態へ、どうつなげたいかを記す。
Principles.mdには、判断に迷ったとき、連続利用を促すことよりも本人が学び方を選べることを優先する、といった基準を記す。
その判断を、Design.mdにある共通の部品や表現を使って画面にする。
こうした記録には、人の感情や心理についての理解も含まれる。
どの情報があると見通しを持てるのか。どの伝え方が不安を強め、どの働きかけが次の行動を支えるのか。
調査や観察で確かめたことと、これから試す仮説を分けて残す。
専門家が頭の中で行ってきた判断を、ほかの人も理由から理解できる形にすることが重要なのである。
体験の判断を加えると、画面の役割が変わる
研究ページでは、学習の振り返りと、保護者への支援についても画面を比較している。
学習の振り返りでは、今日やることを促す画面から、自分ができるようになったことを確認し、次の学びを選べる画面へと役割を変えている。
「できるようになったこと」「今、取り組んでいること」「次に伸ばすポイント」を順に示すことで、進捗の数字を、学習の意味が分かる情報へつなげている。
保護者に対しては、生徒向けの順位や進捗をそのまま見せるだけでなく、子どもの成長、現在の課題、家庭でできる支援を示す。
画面には「どこが難しかった?」という声かけの例も置いている。
何点だったかを知るところから、家庭でどう接すればよいかを考えられるところまで、情報の役割を広げたのである。
生み出したい状況に合わせ、画面の役割を変える
学習の振り返り|できたことを、次の学びへつなぐ

今日の学習を始めることを中心にした画面。

できるようになったこと、現在、次の課題を順に伝える。
保護者への支援|数字から、家庭での行動へ

生徒本人へ順位と進捗を提示する画面。

成長と課題に加え、家庭でできる支援や声かけを示す。
これらは、私の研究ページに掲載している生成画面の例である。
実際に意図した理解や行動につながるかは、使う人と確かめていく。
ここで見てほしいのは、AIに体験の判断を渡すと、見た目だけでなく、伝える内容、優先順位、言葉遣い、次の行動まで設計の対象になるということである。
企業のデザイン資産に、判断の理由も残す
企業が蓄積するデザイン資産も、こうした判断を含むものへ広げられる。
ロゴや色、文字、UI部品を揃えるデザインシステムは、その中でも重要な基盤になる。
私が考えるエクスペリエンスシステムは、このデザインシステムを内側に含み、誰のために、どの場面で、何を実現するために使うかという知識まで扱う。
企業が残すデザイン資産を、体験の判断まで広げる
誰に何を届け、状況に応じてどう判断するかを共有する。
体験を具体的な画面にするための、共通の設計資産。
同じ部品を使っても、何を先に伝え、どの行動を促すかによって、使う人が受け取る体験は変わる。
だから、完成した画面と部品だけでなく、それを選んだ理由を残す。
使う人のどのような状況を見て、何を大切にし、どの選択肢を採用したのか。その判断まで共有する。
別の担当者が新しい画面を作るときにも、AIと一緒にその知識を参照できる。
表現を揃えるだけでなく、同じ価値を守りながら、その場面に合う判断を考えられるようにする。
実際に使ってもらって分かったことを記録へ戻せば、次の制作では、より確かな理解を出発点にできる。
個人の経験を、組織が使い続けられる設計の知識へ変えていくのである。
掛け算の元を、組織で磨く
個人の知識や技術だけに頼っていた仕事に、組織で共有できる入力を用意する。
これが、AIによって専門家の力を広げるということである。
目的、使う人の状況、心理や感情、設計原理、守るべき制約。
それらを具体的な判断として残せば、ほかの人も高い水準の案を作るための出発点を持てる。
AIの掛け算に入れる元の数を、組織で育てられるのである。
5年後にAIがさらに多くの案を作れるようになっても、どのような体験を生み出すかを選び、現実の人と確かめる仕事は残る。
その判断を誰か1人の頭の中で終わらせず、組織で使い、磨き続ける。
AIの速さを、組織全体でよりよい体験を作る力へ変えていきたい。
※本節の比較画面と構成図は、著者の研究ページ「Experience System」に基づく。研究ページを見る